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法務の覚書

弁護士登録7年目。法律にかかわる問題・事件・本のことなど、思いつくままに

川島武宜「日本人の法意識」

 

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

 

学生時代以来の再読。

実務家として法律を運用する立場から一般の人々の法にまつわる認識にふれてから読むと、腑に落ちる部分が多く感じられました。

 

契約は成立するかしないかの何れかーいわゆる「すべてか、無か」all or nothingー の二者択一であって、その中間はないのが原則である。(90頁)

筆者はこの原則を挙げつつ、戦中の農村において口頭での約束がいとも簡単に破られたばかりか、口約束をたてに非難する者こそ非常識であると受け止められた例を出して、次のように述べています。

要するに、ここでは、民法が規定しているような意味で契約が「成立している」のか、いないのか、を問うこと自身が無意味なのである。 A夫人の約束も、全くの無契約の状態なのではなく、やはり一種の約束なのであり、ただそれほど拘束力を感じない、というだけのことである。(92~93頁)

あるいは、「成立」したとされた契約に関しては、次のように述べられています。

…わが国の工事請負契約においては、あたかも伝来的な小作におけると同様に、事あるたびに契約関係について業者から陳情・嘆願・懇願し、官庁側も契約上の法律関係を根拠としてこれを拒否しないで交渉に応じ、多かれ少なかれ妥協するのを常とし、また時には業者に「泣いてくれ」(損失を甘受せよ)と言い、業者も「泣きましょう」(損失を甘受しましょう)とこたえて、問題を解決するという慣行があり、…(106頁)

 つまり、日本の一般的な社会の認識としては、契約が成立したかしなかったかもあいまいなら、成立した契約に拘束力があるかどうかもあいまいなのが普通だった、なんとなれば契約をそのようにとらえることが「常識」ないし「良識」だということなのでしょう。

 

現代でも契約書のひな形等に「誠実協議条項」(契約の解釈に疑義があり又は契約に定めのない事項があるときは当事者双方が誠意をもって協議し解決する)が置かれているのをしばしば目にしますし、契約書を取り交わしたことについていとも簡単に反故にするかのような(それこそ、契約書など「一応のもの」にしかすぎないかのような)言動をとる当事者(暴力団などとのかかわりのない、一般の者であっても)は現代でもさほど珍しくないと思われます。

法律家の視点からは、いかにも非常識に見える誠実協議条項やその種の当事者の振る舞いも、単なる無知によるというだけでなく、日本の社会に深く根差している法に対する意識(あるいは意識の不存在?)が影響しているのだとすると、軽く扱えないものがあるように思われます。